睡眠について  東洋医学研究所®グループ  栄鍼灸院 院長 石神 龍代 平成29年10月1日号

はじめに
私たちは、毎晩、健康な眠りをとっていれば、眠りの大切さを実感することは少ないですが、眠りの大切さに気がつくのは、眠れない夜を過ごした翌日でしょう。
今回は眠りの大切さが明らかになってきた最新の情報をご紹介させていただきます。

眠りについて
眠りの時間、あるいは質が満ち足りたものでなければ、その「つけ」が翌日にきます。睡眠不足の日は何事にも集中力を欠き、活気に乏しい1日を過ごすことになります。
また、睡眠不足の日の翌日は、より一層眠気が増しています。これは眠りが私たちにとって非常に重要な役割を持っていることを示唆しています。
眠気の出現や睡眠の深さは、直前までの覚醒時間の長さや、心身の疲労度に影響を受けています。こうした現象を概念的に説明するために「睡眠負債(睡眠圧)」という言葉があります。覚醒して、心身が活動していると、睡眠負債はどんどん増えていくことになります。睡眠をとらない時間だけ、普段より睡眠負債が大きくなります。そうなると睡眠を長く、しかも深くとって、睡眠負債を精算しなければならなくなります。睡眠負債は眠ることによってのみ返済可能です。

睡眠負債について
仕事でミスを連発、家事に意外と時間がかかる、休日は長めに寝てしまう、この一つでも当てはまるあなたは命や健康を脅かす睡眠負債を抱えているかもしれません。睡眠不足が毎日積み重なってどんどん溜まっていき、そして自分でも気付かないうちにいつの間にか膨れ上がってしまう深刻な状態が睡眠負債ということであります。
今研究者たちは、毎日忙しく睡眠に気が使えない日本人の多くが、この睡眠負債のリスクを抱えていると警鐘を鳴らしています。
普段の睡眠時間よりも休日に2時間以上も長く眠る人は睡眠不足のリスクが高いのです。睡眠不足を放っておくと、命に関わる病気につながることがわかってきました。それは日本人の死因の第1位であるがんです。 
アメリカのシカゴ大学でがんを移植したマウスで実験が行われました。睡眠負債に陥ったマウスはがんが巨大化し、平均で2倍以上の重さになっていたのです。なぜこんなことが起きたのでしょうか。
研究者は睡眠負債によって免疫細胞の異常が引き起こされたと考えています。通常の睡眠では、私たちの体の中にがん細胞ができても、免疫細胞が攻撃して抑え込んでくれます。ところが睡眠負債になると、免疫細胞の働きが低下してがん細胞がじわじわ増殖してしまうことがわかってきたのです。
睡眠負債によってリスクが高まるのは、がんだけではなく認知症もその一つです。認知症の多くを占めるアルツハイマー病は、脳にアミロイドβという老廃物が蓄積することで引き起こされると考えられています。それによって神経細胞が傷つけられ、脳の働きが衰えるというのです。
アメリカのスタンフォード大学睡眠生体リズム研究所西野精治所長は睡眠を3週間に亘って制限した(睡眠負債の状態)マウスと、制限しないマウスの脳を比べた結果、脳の一部の拡大画像をみると、睡眠を制限したマウスではアミロイドβが大量に蓄積していました。なぜこんなことが起きたのでしょうか。
実は健康な脳でも日中の活動によって老廃物であるアミロイドβが発生しますが、毎日眠っている間に脳脊髄液から排出されています。しかし睡眠時間が充分でない場合、排出しきれません。睡眠負債ではこの状態が続き、アミロイドβが蓄積し、認知症を引き起こす可能性がわかってきたのです。
西野精治所長は「これまで睡眠は単なる休息状態と考えられていました。それ以外の役割がわかってきたのは最近で、特に免疫に関することであるとか、老廃物の除去が強調されたのは最近ですね。だからこれからいろいろな疾患でエビデンス(証拠)が出てくると思われます。私たちを苦しめる数々の病気と睡眠負債との深い関係が今明らかになりつつあるのです。」と述べておられます。
アミロイドβは認知症の発症の20~30年前から蓄積が始まっています。20~30歳代頃から睡眠負債に気を付けるべきであります。
睡眠負債が運転中のミスの原因になることもわかってきました。睡眠負債の脳への影響を研究するワシントン州立大学ハンス・ヴァンドンゲン教授は一般の男女48人に協力してもらい、徹夜のグループと6時間睡眠のグループに分けて、モニターに数字が表示されたらすばやくボタンを押してもらい、その反応速度から睡眠時間と注意力・集中力の関係を調べたところ、驚くべき発見をしました。
徹夜のグループは反応速度が3日で急に低下しました。皆強い眠気を感じていました。一方6時間睡眠のグループは最初の2日ではほとんど変化はありませんでしたが、反応速度はその後徐々に低下し、2週間後には2晩徹夜するのとほぼ同じレベルに悪化しました。それにもかかわらず眠気はあまり感じておらず、自分の注意力の低下にもほとんど気付いていなかったといいます。
ハンス・ヴァンドンゲン教授は「皆さん、6時間も寝れば問題ないと思っているでしょう。でも、もし車を運転するとき、これほど注意力が低下していたら事故につながりかねません。怖いのは能力の低下に自分では気付けないことなのです。」と述べておられます。

よい睡眠をとるには
私たちの脳では夜松果体から眠りを促すホルモンであるメラトニンが分泌されます。血中のメラトニン濃度が上がると眠くなる仕組みです。ところがこの動きを抑えてしまうのがスマホです。メールやSNS、動画の閲覧などにより感情が動くと脳の視床下部からメラトニンの分泌を抑制する指令が送られます。このため眠りが妨げられるのです。
鍵を握るのは脳にある体内時計です。生活のリズムを司っています。夜更かしを続けると体内時計がずれてしまい、眠りを促すメラトニンの分泌も遅くなります。でも会社があるので起きる時間は変えられません。そのため睡眠時間が短くなり、睡眠負債につながっていくのです。
2017年4月にハーバード大学が発表した最新研究で、その解決のヒントが示されました。わずか15秒間強い光を見ることで、体内時計のずれを改善できるというのです。
最も有効なのは朝の太陽です。短い時間でもよいので空を見上げれば効果が期待できます。充分な量の光が目から入り、脳にある視交叉上核が刺激されると、体内時計がリセットされます。すると遅くなっていたメラトニンの分泌が早い時間に戻り、速やかに寝つけるというのです。

睡眠に対する鍼治療の研究
鍼治療に睡眠効果があることは日常臨床においてよく経験されることから、黒野保三所長の発案により、東洋医学研究所®および東洋医学研究所®グループでは種々の研究が行われてきました。初回鍼治療日に主訴の内容に関わらず1回の鍼治療で63%の人がいつもよりよく眠れたと回答していたこと3)、鍼治療を行った日と行わなかった日の睡眠の評価をOSA睡眠調査票MA版を使用して検討した結果、鍼治療による自覚的な睡眠の質の改善を客観的に評価することができたこと4、5、6)、睡眠障害および睡眠障害に伴う不定愁訴に対する鍼治療の有効性を示したこと7)等です。これらの研究の結果から、鍼治療は自律神経系に作用し、副交感神経優位に働きかけていると考えられ、鍼刺激により副交感神経活動が有意に増加するという仮説を証明するため、自律神経活動の客観的評価研究を開始し、その結果を論文にして発表しています8)。

おわりに
私たちの睡眠は一般的には7~8時間がよいと言われていますが、睡眠時間の必要性は個人によって差がありますので、「あなたが翌日、眠気を感じないで、すっきりと過ごせるだけ眠ればよい」ということになります。
私たちが感じる「眠気」は睡眠不足のバロメーターの役割を果たしていますので、眠気は脳が質的な、あるいは量的な不足を訴えていると思っていただきたいと思います。
睡眠負債を返済すると全身のパフォーマンスが向上しますが、それは睡眠負債が脳や筋肉の働き、さらには感情、やる気にまで影響しているからです。
よい睡眠を心がけ、充実した毎日を過ごしましょう。

文献
1)櫻井武:「睡眠の科学」なぜ眠るのか なぜ目覚めるのか.東京.講談社.2015.
2)6月18日放送 NHKスペシャル「睡眠負債が危ない」
3)皆川宗徳,黒野保三,石神龍代,井島晴彦,河瀬美之,甲田久士,迫井 豪ら:鍼灸院における睡眠に対する鍼治療の実態調査.第27回生体制御学会学術集会抄録集.2009:11.
4)皆川宗徳,石神龍代,山田 篤,各務壽紀,黒野保三,早野順一郎:睡眠障害に対する鍼治療の検討‐自覚的な睡眠の質の評価‐.第61回全日本鍼灸学会学術大会抄録集.2012:175.
5)石神龍代,皆川宗徳,内藤真次,井島晴彦,河瀬美之,加納俊弘,山田 篤ら:睡眠に対する鍼治療の検討.第63回全日本鍼灸学会学術大会抄録集.2014:156.
6)石神龍代,黒野保三,皆川宗徳,山田 篤,各務壽紀,早野順一郎:黒野式全身調整基本穴への鍼治療(筋膜上圧刺激)による睡眠の質の改善効果―OSA睡眠調査票MA版を用いた自覚的な睡眠の質の評価―.全日本鍼灸学会雑誌.2016;66(1):24-32.
7) 石神龍代,黒野保三ら:睡眠障害に伴う不定愁訴に対する鍼治療の検討.全日本鍼灸学会雑誌.2006:56(5);793‐801.
8)Yasuzo Kurono, Munenori Minagawa, Tatsuyo Ishigami, Atsushi Yamada, Toshinori Kakamu, Junichiro Hayano. Acupuncture to Danzhong but not to Zhongting increases the cardiac vagal component of heart rate variability. Auton. Neurosci.2011.161; 116-20.